Voice

音と向き合う時間の記録

 

Birgit Kolar


Violinist


http://www.birgit-kolar.com/

Recommendation for Violin Maker Yoshiharu Ito

Several years ago, I had the great fortune of commissioning a copy of a Carlo Bergonzi violin from the young and exceptionally talented violin maker Yoshiharu Ito. The result impressed me deeply—not only through its craftsmanship, but especially through its outstanding tonal quality.

My first encounter with one of Mr. Ito’s instruments was a Stradivari copy, which immediately captivated me with its fullness and broad, rich sound. Even then, it was clear to me: this is someone who builds not only with great skill and precision, but also with an extraordinary sensitivity—something I consider essential for creating instruments of such depth and character.

Mr. Ito combines technical excellence with a remarkable sensitivity for sound, personality, and the unique soul of each instrument. His work speaks for itself—just like his calm, respectful, and deeply focused approach to his craft.

I sincerely wish Yoshiharu Ito all the very best for the future, and I hope that many violinists, both young and experienced, will have the opportunity to encounter and play his remarkable instruments.

Birgit Kolar
Violinist
http://www.birgit-kolar.com/



数年前、伊藤慶治氏によるカルロ・ベルゴンツィのコピーを依頼する機会に恵まれました。その卓越した職人技と音質に深い感銘を受けたのを今でもはっきりと覚えています。

初めて伊藤氏の楽器に出会ったのはストラディヴァリのコピーでした。広がりと深みを兼ね備えた音色に心を奪われ、彼が技術のみならず、類まれな感性をもつ製作家であることを実感しました。

伊藤氏は音と個性、そして楽器の“魂”に対する鋭い感覚を持ち、静かな集中と誠実な姿勢でそれを作品に昇華しています。そのような感性こそ、深みのある楽器を生み出すために不可欠だと私は信じています。

多くのヴァイオリニストに、彼の素晴らしい楽器と出会う機会が訪れることを、心より願っています。

ヴァイオリニスト(元ウィーン交響楽団コンサートミストレス)
ビルギット・コラー

山本 裕康

Cellist

東京音楽大学教授

学生時代、大変温厚であった師匠に一度だけ激怒された事がある。

それは楽器を跨いだ時だった。
当然気をつけて跨いだわけだけど

“道具を粗末に扱う者はその道具に関わるべきではない”

と、タバコを灰皿に怒りと共に消しながら言われた事を思い出す。

300年前のバッハの音楽を現在まで届けてくれたのは数えきれない程の音楽家たちのみならず、それと同じ数の楽器たち、そしてその楽器を製作した製作者たちを忘れてはならない。

一人一人の演奏家に音楽や楽曲に対する愛情や哲学があったのは言うまでもないが、楽器製作者の想いをどれほどの演奏家が今それを受け止めて演奏しているかは僕にはわからない。

春には見事に咲き誇る桜の巨木をなんらかの建設のために平気で切り倒す時代になってしまった。
そんな時代に違和感を覚えながらもその切り倒された巨木の切株や見上げて見える月に向かって呟く事がある。

演奏家がいなくなっても楽曲と楽器は残る。
後世の誰かがその楽曲と楽器をさらにその未来に向けて弾いて伝えていってくれる事を信じている。
楽曲への作曲家の想い、演奏家の楽曲や音への想いは十分に世に知られているが、楽器製作者の思想や哲学はどうだろう?
クラシック音楽を作曲家、楽器製作者、演奏家が手を携えて守って伝えてきたんじゃないのか?その携わった人全ての想いこそ文化であり芸術じゃないのか?
物凄い数の想いを簡単に扱わないでくれ。
と。

平然と楽器を跨いで大目玉を喰らった自分を棚に上げてではあるけれど。


その師匠とは比べものにならないけれど、今、多くの生徒と向き合う立場になって感じることがある。
僕らの時代よりも、若い演奏家たちが楽器を手に入れることが、ずっと難しくなってしまった。

だからこそ伝えたい。

学生諸君よ、灯台下暗し。
こんなにも近くに、未来に向けて生み出されている伊藤慶治氏の楽器があることを、どうか知ってほしい。

明るさと密度、そして艶のある音色。
想いが込められた楽器と共に、自分の未来と、自分の音を、丹念に作り上げていってほしい。

そして願わくば
100年後、200年後、誰かがその楽器を必死に手に入れようとするチェリストのために。

Miyoko Erhardt Ito

古楽奏者

http://miyokoito.de/

時代を越えて、時空を越えて、何世代にも受け継がれる価値のある楽器だ。

それは、人が単に「つくりあげたモノ」ではなく、もっと魂のある存在。
音をもって、生まれるべくして生まれてくる。

美しいものには、特別な魂が宿る。
だから、音楽家にインスピレーションを与えてくれるのだと思う。

豊嶋 優月

Cellist

東京藝術大学学生

まるで絵画のような奥深さと彩りがある。
音が真っ直ぐに聴いている人の心に届く。

視覚的にも音色的にも、心を奪われた。

この楽器を演奏するようになって視野が広がった。

そして実際に──
楽器から私の心が動かされ、
その演奏が聴き手の心を動かす。

そんな連鎖に、この上ない喜びを感じている。

演奏をする時はプレッシャーも多いが、パートナーのような信頼を寄せて演奏することができ、これからもこの楽器と共に音楽と向き合っていきたい。

深見 悠也

愛好家


「将来を描こう」

「未来を予測しなさい」

「先に備えましょう」

物心ついた頃から私を囲う言葉は、時に、来るかもわからない明日のために今日を犠牲にして生きよと聞こえた。

「何者かになりたい」

いつからか頭を離れない言葉。誰かに何かを残し、もたらせる存在になりたいという、強迫観念にも似た願望。けれど、幾年を経ても、鏡に写るのは「何者でもない自分」。目の前にあるのは「何でもない日常」。

「日々、自然宇宙の一部であることを感じて生きてみたい」

永らく心のどこかで望んできたこと。

そして、それに出逢った。

氏はいう、

「私は"残す"ことを意識して楽器を製作していません。芸術の本質は滅びるところだと思っているのです。自然物はそもそもそういうもので、生まれるものより壊れるものが僅かに多く、ゆえに、滅んでいくということこそ、芸術が問うべき本質なのだと思います。」

自らの魂を分け与えるようにして造られたであろう、まさに「芸術」的なそれは、しかし、奏でると、決して自己を顕示するのでなく、雲間から差す一条の光のようで、その傍らに佇む氏との対話は、やさしく心の呪縛を解きほぐしてくれた。

それは奏でるたび、日々見失いそうな、人も自然宇宙の一部であるという感覚を取り戻させてくれる。「いま」を「ただ日々生きること」が、大切で、愛おしく、静かに光る宝物であることを思い出させてくれる。

その楽器との出逢いは、氏との出逢い。氏の思想との出逢い。

それは音楽のある人生を共に歩む善き伴侶を得るにとどまらず、「いま」生きていることの歓びを穏やかに呼び覚まし、より深いものとしてくれる。

氏はいう、

「ただただ、表現し、共鳴があれば、幸せです。美しさを感じること、それは人間の本能なのだと思います。それが備わっているのが本当に不思議ですね。」

けれどその楽器は、私が自然に還ったそのあとで、何者でもない私が生きたことを、きっと、そっと、魂響き合う誰かに伝えてくれるのだと思う