Maker's concept
音の深淵へ
私の楽器製作における芸術は、
この世界に満ちる自然現象の中にある、
生命が感じる音への根源的な問いから生まれます。
音は、瞬間に消えます。
楽器は、やがて壊れていきます。
けれど、滅びは終わりではなく、新たな始まりです。
私は、真に魂を揺さぶる楽器を作りたい。
そのためには、孤独のプロセスを愛することこそが、
芸術に向き合う演奏者と繋がる、唯一の道だと信じています。
機械を使わず、手作業にこだわるのは、
効率ではなく、木という生命と対峙する時間を大切にしたいから。
音を生む前に、まず静寂にいること。
プロでもアマチュアでもなく、
ただ、音の深淵を見つめる人のために作ります。
一つのメロディーに、音色に、
何度も手を止め、問いかけ、立ち尽くす——
そんな時間を知っている演奏者の、
共に在るパートナーとなること。
それが、私の願いです。
私たちにとって、
本当の音楽、美しさ、豊かさとは何か?
木と向き合いながら、
静かに、自らに問い続けています。
西洋芸術に対するジレンマ
異国でヴァイオリンという西洋芸術を学んでいた頃、私はあるジレンマに陥っていた。
なぜ私たちは、日本人でありながらストラディバリウスを模倣し、
西洋の伝統を“正しさ”として学ばなければならないのか。
それは劣等感でも反発でもなく、自らの文化的アイデンティティがどこにあるのかを問う痛みだった。
そしてある日、アメリカ・クリーブランドの美術館で、
エジプト考古学を専門とするキュレーターと出会う。
彼は私を見て、こう言った。
「あなたたちの文化には、自然の細部に神が宿っている。
そのような静けさを大切にする感覚は、エジプトにも通じます。とても尊い精神です。」
その言葉が、私の深部で、何かを静かに解きほぐした。
忘れられつつある日本人の精神性──それが私の中にはまだ確かにあったのだ。
かつて日本人は、目に見えぬものに耳を澄ます民族だった。
石の上に生えた苔の湿り、障子越しの光の陰影、
あるいは、風に揺れる稲穂のざわめきのような「声なきもの」たち。
神道とは宗教ではなく、そうした“ともに在るもの”を感じる生き方であった。
私たちは自然を支配せず、そのなかに身をおくことを知っていた。
そしてその精神は、古来の職人たちの背中にも宿っていた。
彼らは自らを売り込むこともなく、
名声を求めることもなく、
ただ日々、木を削り、器を焼き、布を織りつづけた。
多くの場合、作品に名を刻むことをせず
手が覚えた型や道具との呼吸が、すでに自らを語っていると知っていた。
完成ではなく継続の中に、静かで揺るぎない美を見ていた。
だが、いつのまにかこの感性は「古いもの」として遠ざけられ、
現代の社会は、はっきりした答え・可視的な成果・速さと明瞭さに傾いていった。
沈黙や曖昧さは「非効率」とされ、静けさは不安の象徴となってしまった。
私はそれに抗いたいのではない。
ただ、それ以外の「在り方」がかつて確かにあったことを思い出したいだけだ。
それは、日本人だから特別なのではない。
けれど、私が日本という風土に生まれ育ち、
その「失われつつある何か」を確かに感じているのもまた事実である。
侘び寂び
陰翳礼讃
無常
間
余白
無名性と清明心
八百万の神々
そして、無
私の制作は、主張ではなく、聴きとりである。
音の鳴る前、言葉の生まれる前に、
なにかがそっと息づいている。
それをかたちにすることが、
私の祈りであり、問いかけであり、仕事なのだ。
自然というのは、我々の周りにあるすべてのものを指している。
つまり、生まれ、劣化し、死に、また生まれる循環物のことだ。
非常に作り込まれた、完全無欠の物体を見たことがあるだろうか。左右対称で、一点の曇りのない、見ているだけで切れそうなものが現代の社会には山ほど存在する。ビルや住居、家具、道具、楽器でさえ周りを見渡すとほとんどがそれだ。
都会のビルを触って、五感が震えるだろうか。異常なまでにコーティングされた家具に触れて体感はどのように感じるだろうか。
完全であることを求め、それが当たり前になると、不完全を受け入れられなくなる。つまり、我々現代人は完全無欠の住居に住むゴキブリ一匹をも受け入れられない存在なのだ。
自然は不完全で、もろく、朽ちる。また、美しいものがあれば、醜いものもあり、恐怖や感動が入り乱れる。しかし、不完全であるがために循環し、不完全を補うためにエネルギーが生み出される。そして不安定だからこそ生まれる。
これまで、楽器を作ってきて僅かながら成功例がある。 意識にコントロールされていない楽器だ。
見栄や現代社会への自己顕示欲がある状態で製作すると、たいてい存在感のない、面白みのない楽器が完成する。そして、学びが足りないことによって、現在でもそうなる事が多い。
Make music more natural
体感、五感から学び、自然を表現する。人間性、自然性に触れ続けたい。